慶応4(1868)年2月、泉州・堺に上陸したフランス兵と衝突し、22人を死傷させた事件の責任をとり、切腹することになった箕浦猪之吉ら20人の土佐藩士。自らの腹に切っ先を入れると、苦痛に耐えながら横一文字に切り裂いていく様はすさまじかった。間近で見ていたフランス政府、軍の関係者の顔は一様に青ざめ、目を覆うほどの残酷シーンの連続だった。