中国が近代化の努力を始めた頃、真っ先に困ったのが言葉の問題である。近代的な概念に対応する新語の造出を怠ってきたため海外文化や技術の受容がうまくいかなかったのだ。そこで大量の中国人留学生が明治・大正期の日本に押し寄せることになる。たとえば1905年に日本に新たに留学した中国人は8000名にのぼる。

彼らは多くの分野の日本語書籍を片っ端から翻訳し、その過程で日本起源の和製漢語をそのまま中国語の中に導入した。こうしておびただしい数の日本語が中国語の中になだれ込むことになった。

和製漢語が中国語にスムーズに受け入れられた理由はもう一つある。江戸期・明治期の和製漢語はきちんと中国語の文法規則にしたがって造語されているため中国人にもほとんど違和感がなかったのである。陳生保・元上海海外国語大学教授による具体例を引用させてもらう。