和村村長は、水門が完成した3年後に村長を退き、1997年に亡くなっています。享年88でした。今回の津波以降、住人達は彼のお墓のお墓参りをしているそうです。彼が村長を辞める時に残した言葉は、「村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください。最後には理解してもらえる。これが私の置き土産です」と語ったそうです。