• 室内は溺死(まぁ、そりゃそうか)。屋外は、う〜ん、溺死と打撲?
  • 衣服着用、思い出の品準備で逃げ遅れ

避難所に逃げ込んで亡くなった方も多かった。想定外の津波だったことが伝わってくる。こうしたご遺体は、傷が比較的少なく、また持ち物なども残っていて、比較的身元が判定しやすいと思われた。

屋外で発見の遺体には、ほとんどすべてに傷があるといってよかった。多くは、服をつけていない顔に傷を負っていた。手足の骨折、頭部や肋骨などの骨折のある遺体もあったが、生前にできたのか、死後にできたのかは、解剖しない限り断定はできない。見た目で、骨折部の周囲に皮下出血がありそうか、なさそうか、で大まかに判断するしかなかった。また遺体によっては、高所転落あるいは自動車による轢過損傷に近いような、重度の骨折を追っているものもあり、津波のエネルギーの激しさも伝わってきた。

屋外で見つかった方の半分くらいだろうか、衣服が取れてしまっていたものが結構あった。靴下や下着の一部だけ身に着けている状態のものもある。津波の激しい水流で流されてしまったのだろうと思われた。

衣服を着ている遺体も多いが、そのようなものの大半は、5から7枚程度の上着を厚着しているように見えた。多くの方が、津波が来るときいて、避難を始めた最中に巻き込まれたそうだが、みな被災地で寒い思いをしないために、厚着して出たのかもしれない。だとすれば、その時間がなんとも、惜しい気がする。もし、暖かい避難所が過去に多く用意されていれば、もっと身軽な格好で逃げられたのでは?との意見を述べる者もいた。

警察の検視での持ち物検査にも立ち会わさせていただいたが、なんとも心が苦しい。ただ、見てはいけないものを見ているのではないかという思いがある一方で、亡くなった方の思いというのが伝わりもし、それを誰に知らせもせずに終わらせていいのだろうかとの思いも交錯してしまう。

リュックサックを身に着けたまま亡くなっている方もいた。その中には、アルバムの一部と、未開封のチョコレートなどが入っていた。チョコは、避難場所で飢えをしのぐためにいれたのだろうか。アルバムは、家が津波でなくなっても、残したいものだったのだろうか。家をなくしても、家族との思い出の品だけはもって出たいという気持ちの表れのように思えた。

孫や、子供と夫と写った写真、子供の結婚式の写真を、財布などにしたためている方も時々いた。もしご家族が生きていれば、こんなにも愛されていたことを伝えたくもなるが、津波災害の場合、そのご家族も亡くなっているケースが多いようで、なんともいえない気分になってしまう。

若い方の遺体はそれだけで痛々しい。避難用のヘルメットを持っている小学生、部活帰りに避難所に駆け込んだと思われる高校生、、、、みな、避難がうまくいき、生きていれば、楽しい明日があったというのに。