その結果、中国には、めんを湯につけて温め、付け汁につけて食べる、うどん本来の食べ方がなかったという。「饂」という漢字も中国にはない。また、平安時代の日本の文献には「コントン」という食べ物があったが、肉のあんを小麦の皮で包んだもので、うどんとは似ていなかった。うどんを示すと考えられる表記が日本の文献に初めて登場するのは南北朝時代で、カタカナで「ウトム」とあった。

 これらの結果から、奥村さんは、うどんは中国から伝わった「切り麦」から日本独自に進化したと推測。切り麦はいまの冷や麦で、細いので湯につけるとのびやすい。うどんは、温めて食べる専用の太いめんとして生み出された可能性が高いと結論付けた。